関の小万

>九州久留米藩の剣術指南役だった小万の父、牧藤左衛門は、口喧嘩の末、遺恨によって同輩の小林軍太夫に殺害されます。
>身重の妻は夫の仇を討とうと敵を追って鈴鹿峠を越え、関宿まで来たところ、地蔵院前で行き倒れになり、
>旅籠『山田屋』の主人・山田屋吉右衛門夫婦に助けられます。
>そこで、妻は女児(小万)を出産しますが、産後まもなく亡くなり、子供の将来を山田屋夫婦に託しました。
>山田屋夫婦の子として育てられた小万は、15歳のときに実母の遺言を伝え聞き、亡き母の志を継いで亡父の仇討ちを決心します。
>山田屋の主人は、亀山藩家老加毛寛斎に頼んで武術の修行に励むようにした。
>3年間武術の修行に励んだ小万は、天明3年(1783年)8月、馬子姿に変装して亀山城大手前の辻で仇を討ち、
>見事に本懐を遂げました。その後も山田屋にとどまり養父母に使えましたが、享和3年(1803年)に36歳で病死しました。


映画になりそうな話。